学力テスト Vol.450-4 その解答 トキ その3 国内編 ~ 遠江にもいた!! ~

 「朱鷺」「鴇」「桃花鳥」「紅鶴」「鴾」・・これらの文字はすべて「トキ」と読みます。


「鴇色(ときいろ)」という色と言葉が生まれたのは江戸時代のこと。その頃のトキは今のように貴重な生き物ではなく、どこにでもいる鳥だったようです。

日本の伝統色には「雀茶(すずめちゃ)」「鶯色(うぐいすいろ)」「鶸色(ひわいろ)」など鳥の羽色に由来する色がいくつかあります。「鴇色(ときいろ」はトキがごく身近な生き物であったことと、日本人の繊細な色彩感覚が産んだ言葉です。

ちなみに「鴇色(ときいろ)の色言葉は、「恋愛」「礼儀」「艶やか」です。

鴇色(ときいろ)とは、トキの羽の内側の色に由来する淡いオレンジがかったピンクの色です。江戸時代には「鴇羽色(ときはいろ)」とも呼ばれ、女性用の着物の色として、とても人気がありました。江戸時代にはこの色は紅花(べにばな)や蘇芳(すおう)という植物で染めて作られていたとのことです。

何年か前に見たNHKの「美の壺」では山形県米沢市の染織家、諏訪好風(すわこうふう)さんがトキ色に挑戦する話が放映されていました。サクラの枝を使っての「さくら染め」でトキ色を作り出す話でした。サクラからトキ色なんて想像してもワクワクで素晴らしい~~!!

https://kininarutips.com/tsubo-488/

今、こんな素敵な着物を着こなした女性がいたら、世の男どもはきっとメロメロになってしまうことでしょう!!

※米沢は、かの名君 上杉鷹山公が「米沢織」の基礎を作り、藩の財政を立て直し、発展してきたことで有名です。

さてさて、今回の私の最大の関心事はここからです!

どの本を見ても、「江戸時代には日本全国でトキがみられた」とは書いてあるけど、それ以上の具体的なことが分からなくてモヤモヤ。その最も気になっていることが判明!・・・

約290年ほど前になるけど、わが遠州地方 すなわち江戸時代には「遠江国 (とおとうみのくに)と呼ばれていたこの地にもトキがいたのです!!

この貴重な記録が書かれていたのは「産物帳」といいます。これは徳川8代将軍吉宗の時代のこと。

1735年、本草学者(現在の博物学者)の丹羽 正伯(にわ しょうはく)が中心となって、全国の動植物についての調査が行われました。これは日本の博物学の歴史の中でも驚くべき大掛かりな仕事でした。

彼は全国の藩、天領、寺社領に通達し、それぞれの地域の動植物、鉱物、農作物などを細かく調べ「産物帳」にまとめて差し出すように指示したのです。こうして34年後には全国から膨大な資料が彼のもとに集まったのです。

ただ、この貴重な資料は世に出される前にすべてなくなってしまったのです。1952年にそれを知った農学博士の安田 健氏が、それから35年掛けて、その控え文書や写本を探し出し、日本のあちこちに残っていた約40点を見つけ出したのです。下記のトキの分布図はその資料を基に作られたものです。

地図の中央部にしっかりと「遠江(とおとうみ)」と書かれています!! 遠江というのは江戸時代に静岡県が遠江・駿河・伊豆の3つの国に分かれていた時の名称で、現在の大井川以西のことを言うのです。伊豆の資料は残っていたけどトキの記載がなく、駿河は「産物帳」が未発見ということから、資料を紛失してしまったようです。

もしかして、うちのご先祖さまもトキ君を見たことがあるのかなあ? もしかしたら、見たことがあるからトキと聞くとこの血が騒ぐのかなあ?!・・・なんちゃって!


どうです? この地図を見て、皆さんの地元にはトキがいましたか?


参考と引用

◆「江戸諸国産物帳 丹羽 正伯の人と仕事」著:安田 健 発行:晶文社

◆「トキよ舞いあがれ 国際保護鳥・トキを絶滅から守る人たち

  国松 俊英:著 発行:くもん出版 (1988年)


 

3 件のコメント:

  1. トキの羽裏の鴇色は魅力的な色ですね~♬
    徳川吉宗の時代に全国の動植物についての調査が!!
    分布図に、はっきり[遠江]と書かれていますね!!
    貴重な記録[産物帳]のお陰ですね。
    そして安田健氏の努力のお陰ですね。
    我が地方の名前はないですね~(^^;

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  2. この「産物帳」はすべてが見つかっているわけではないので、白紙の地域でもいたのかもしれません!

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  3. そうですか~そしたらもしかして
    我が町にもいたかも、ですね!♬

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