大好きなトキについていろいろ調べてみたので、簡単にまとめてみました。今回は中国事情について。
トキの学名は「Nipponia nippon」すなわち「日本の鳥」という意味です。学名から連想すると日本の特産種のようですが、かつては東アジア一帯に生息していました。
これがその分布図です。日本以外では中国、ロシア東部のウスリー地方、朝鮮半島、台湾に生息。
ただし、この生息域は19世紀(1801~1900年)から20世紀初めの話。
その頃にヨーロッパやアメリカの動物学者が中国を探検しましたが、その記録にはトキが多数いたと書かれています。
ちなみにロシアでは1936年以降、朝鮮半島でも1978年以降の記録は途絶えています。
中国ではトキのことを「紅鶴」とか「紅火」「仙女鳥」「吉兆鳥」「美人鳥」など10以上の名前で呼んで大切にしていました。これらの名前は伝説や古い風俗、習慣などに深い関わりを持って生まれた名前なのです。
そのトキが1930年代から急速に減っていきました。環境の変化のスピードがものすごかった時代でもあります。
山林の木を伐採したり、山を切り崩して住宅や工場を多く作っていきました。
湿地の農地化、すなわち池や沼は干拓をして陸地に変え、田んぼは乾いた畑に変え、さらに残った田んぼでは農薬が多く使われました。
これによってトキのエサとなるドジョウや小魚、昆虫などがいなくなり、トキの生息できる環境はどんどんなくなっていきました。
さらにハンターが、トキの羽を目当てに乱獲したことも減少の原因になりました。
このようにして1964年を最後にトキは見られなくなってしまったのです。
中国のトキはもう絶滅してしまったのではないか?
そこで「中国科学院動物研究所」が、本当に絶滅してしまったのかどうかを調査することになり、研究チームを発足し、1978年秋に調査隊が結成されたのです。
調査と言っても中国はとてつもなく広く、日本の26倍もの面積があって、過去にトキが観察された地域はものすごく広いのです。
中国では、この地図全域の中でトキが生息していました。
調査には3年かかり、調査隊は5万kmを走り回ったとのことです。もうダメなのか?とあきらめかけた頃の事、とうとうこの地図で左上に表している「陝西省洋県(せんせいしょうようけん)」で1981年5月に発見できたのです。
「トキが生きていた!国際保護鳥トキ再発見の物語」という本には、当時の発見した瞬間が次のように書かれています。
案内人が北の空を指さして叫びました!「見ろ!!」
皆が空を仰ぐと、1羽の大きな鳥がまさに頭上を飛び去るところでした。私たちとの距離は70~80m。
「あれだ…間違いない!トキだ! トキだ!!」すべては一瞬の出来事でしたが、私たちははっきりと見たのです。私はその時の気持ちを言い表すことができません。
或る人は、その時の気持ちをこう言いました。「感動が押し寄せた。それは豊かな大河の流れのように、ひたひたと、ゆるやかに、それでいて限りなく大きな力を込めて、私たちを包んだ・・・」と。
私たち5人は、ただ黙って心の中に溢れようとしながら、まだ戸惑っている、激しい感情に耐えていました。
3年以上の間、山を越え、川を渡り、東へ進み、西へ戻り、南や北を歩き回ってその行方を尋ね、待ち望み、想いこがれたその姿を今ついに発見したのです。
トキはやはり生きていた!この大地の上に!中国の美しい山河に抱かれて!
そこからの洋県や国の対応はすばやく、翌年からトキの保護策を打ち出しました。
まず人々にトキが貴重な鳥であることを知らせ、トキが繁殖する大木の伐採禁止、田んぼへの農薬や化学肥料の使用禁止、ヒナを育てる初夏には田んぼにドジョウを運び込む。24時間体制で監視をして親鳥やヒナを守る。
住民への協力を求め、狩猟、炭焼き、開墾して田んぼや畑を作ること、騒音を出すことなどを禁止。
1986年には「野生のトキ保護観察ステーション」が作られ、さらに1990年には「トキ救護飼育センター」が完成。傷ついたトキを保護して手当てをしたり、人工増殖も始めました。
こうして1996年には野生の繁殖と人工の増殖をあわせて40個の卵が産まれ、24羽のヒナが育ちました。
一方、北京動物園でも人工ふ化の研究も進み、1992年には世界初で3羽のヒナのふ化に成功したのです。
このようにして、一時は絶滅したと思われていたトキは、陝西省だけでも現在、野生のトキも含めて7700羽まで増えたのです。
それよりもかなり以前の1960年に、東京で開かれた国際鳥類保護会議(ICBP)では「国際保護鳥」としてトキとアホウドリが選ばれていました。
「国際保護鳥」というのは絶滅の恐れがある鳥を指定して、国境を越えてその鳥を保護しなければならないという取り組みの事です。
中国でのトキの再発見から2ヶ月後に、同じような課題を抱えている日本もトキ保護に協力したいと申し出ました。
その内容は日本の持っている技術や器材を提供したり、両国の専門家の会議を開いたり、人の交流を行ったり、募金を中国に送ったり・・・と多岐にわたりました。
この交流こそが現在、日本でトキが見られる源となっているのです。
次回は、日本での歴史などをお伝えしようかと思います。
参考と引用
◆「トキが生きていた! 国際保護鳥トキ再発見の物語」劉 蔭増:著 桂 千恵子:訳
発行:ポプラ・ノンフィクション (1992年)
◆「最後のトキ ニッポニア・ニッポン トキ保護にかけた人びとの記録」
国松 俊英:著 発行:金の星社 (1998年)
◆「鳥のふしぎ」川上 和人:監修 発行:ポプラ社 (2011年)
トキがかっては東アジア一帯にいたのですね~
返信削除分布地図でよく分かります。
中国でのトキ7羽発見までの大変な努力!
そして感動!!
その後、中国との交流が日本のトキの源に~(^_^)V
中国のトキは現在7700羽!!
保護策の成果ですね!!
反省すべきは山ほどあるけど、まずは地球上から絶滅しなくてよかった~! と思います。
返信削除
返信削除当時、日本でも同じような悲惨な状況です。
トキのシリーズは「その3」に続きます。