学力テスト Vol.451-2 ソウシチョウ ~ チラ見は綺麗だけどあぶないヤツ ~

 ソウシチョウ ~ チラ見は綺麗だけどあぶないヤツ ~

この鳥ってどこかで見たことあるぞ!? そうです!1980年代の頃、日中国交正常化に伴い中国からジャンスカと輸入されて、どこのペットショップでも見かけたヤツなのです。

初めて見たのはン十年前の長野県の標高が1000mほどの冬山。赤い鳥を探していた時に遭遇しました!! この1980年代の前半の頃はまだまだ野外で目にするのは稀でした。外来種だったので、ハナマルのリストには書いてなかったために正確な日付は不明なのが残念!

それが今では浜松市でも浜北あたりでは普通種と言えるくらいにあちこちから声も聞こえてきます。ただ、けっこうすばしっこいので、なかなかじっくりと姿を見られるわけではありません。

チョット見はいいけど「危険」なのです! 何故かっていうと、これは『侵略的外来種ワースト100』という恐ろしいリストにも入ってる危ないヤツ!!『侵略的外来種』というのは、わかりやすく言うと悪名高いブラックバスやブルーギルなどと同じ扱いなのです! 

ソウシチョウは標高1000mあたりのササ群落、藪、灌木などが繁茂する常緑や落葉広葉樹林などで営巣します。
すなわちウグイスやメジロ、コマドリ、コルリなど似たような環境で営巣する日本の野鳥の生活に悪影響をもたらすと心配されているのです。
すでに北関東以西から九州までの36県に生息しているという深刻な状況なのです。

「こんな小鳥が悪さをするの?」と思うでしょうが、国立環境研究所のHPには次のように書いてありました。
ソウシチョウの影響として「①営巣場所にカケスなどの捕食者を誘引する。②近年の爆発的な個体数の増加は在来種に影響を与えている可能性がある。③1910~1920年代にソウシチョウが導入されたハワイでは,在来の鳥類が衰退した一因と考えられている。

こんなカラフルな小鳥はペットショップがお似合い

なぜ野生で多数増えたようになったのかというと、もともと中国ではガビチョウと共に人気のある小鳥で、安価で見た目もそこそこ綺麗だということで、国内でも最初の頃は人気もあったようです。
ただ、さえずりが大きくて段々と耳障りになり人気が下火になると、食欲が旺盛でエサ代もかかるということで、業者が意図的に数多くを放鳥してしまったのだと言われています。

おまけに、雑食性で環境適応力や繁殖力も拡散勢力も強いとなればなおさら!!・・・ということで、あっという間に増えてしまったのです。

かつて子供と一緒に近所の草むらからマツムシを捕ってきて、そのかごを室内に入れておきました。すると暗くなってから鳴き出したのはいいけど、あまりにもその「チンチロリン」という金属的な声が耳障りで、頭痛がするほどでした。
当然ながら、すぐに草むらに戻しに行ったのは言うまでもありません。
ちなみにスズムシの「リーンリーン」というのは音色が柔らかく、さほどに大きくないので耳障りにはなりません。

ソウシチョウのさえずりも屋外で聴いている分には、そんなに耳障りになることはないのでしょうが、これを狭い室内で聞くとなると話は別物になるのです。
たぶん、そんなところが日本人には飼い鳥として不向きと思われたのでしょう。

日本の鳥と比べると、この色彩はやはり違和感を感じます。

足指は「三前趾足」で、もちろん「水かき」はありません。

おっと「直接頭かき」をしてくれました!

・・・と何気なく書いてしまいましたが、撮っている時は「間接」とばかり思っていました。正面から撮っていたのでクイズの解答に使う写真を探す事になった、今の今まで気付きませんでした。


クイズの解答で「間接頭かき」で正解です・・・と書いてしまいましたが、この時 撮ったのはどう見ても「直接頭かき」でした!!! もしかしたらこの時だけかもしれないけど、小鳥で「直接頭かき」なんて初めて見ました! 何て変なヤツ~~!!

「頭かき」の定義には『間接法の鳥は時に直接法を行うこともあるが、直接法の鳥が間接法を行うことはないとあるので、ソウシチョウはどちらもやるのかな?
こうなると、今度は「間接頭かき」の瞬間を撮らねばなりませぬ!!・・・やれやれ、えらいこっちゃ~!

Googleで「ソウシチョウ 頭かき」を検索したら「AI検索 ソウシチョウが足で頭をかく様子は確認されていません」と出てきました。
また「ソウシチョウ 頭をかく」で再検索したら「AIによる概要 ソウシチョウは翼越しに間接的に頭をかく「間接頭かき」をする野鳥です」と出てきました。
一体どうなってるんやねん!! グギギギギギ~~

確かにそんな写真はどこを探しても出てこないけど・・・ こんなに問題になっている鳥なのに誰も撮ったことがない?!?!
単に撮っていても、こんな外来種の頭かきなんて投稿してないだけだと思うけどネッ!!

頭かき」にこだわって撮っている人って、どこかにいるのかなあ? このブログを見たらぜひソウシチョウの頭かきの見解をご連絡くださいませ。

最後になるけど、とにかくお願いだから佐鳴湖には来ないでくれ~

では皆さま、来年が良い年でありますように💛





学力テスト Vol.451-1 頭かきシリーズ  その71

 残すところあと数日! あっという間の1年でした。今年も飽きずにクイズにお付き合頂きましてありがとうございました。さてさて2024年最後のクイズです。

この「鳥の名前」と「頭かき」の方法をセットで答えて下さい。

頭かきの方法 1:直接頭かき 2:間接頭かき

さらにおまけで、今回も追加問題です。いつものように「足指の形」や「水かきの種類」に関しても答えて下さい。もし、水かきの種類に該当しない場合は「無し」と解答して下さい。

足指の形

水かきの種類
※2つのイラスト資料「鳥のフィールドサイン 観察ガイド」箕輪義隆




学力テスト Vol.450-6 その解答 トキ その5 ~ あでやかな「とき色」 ~

 

トキの魅力は何といっても、この「とき色」に尽きます。
では、どのようにしてこの「とき色」は生まれたのでしょうか?

鳥の羽の発色の主な仕組みは ①「カロテノイド(またはカロチノイド)色素」、②「メラニン色素」、または ③「構造色」この3つが主な発色です。

地球上に生息している約1万種の鳥のほとんどが、この3つの仕組みによる発色です。「色素による発色は一部の光を吸収して起こる発色で、「構造色は羽毛に当たる光の散乱によって発色するので、色素とは違う光学的な仕組みによる発色です。

「メラニン色素」とは黒~茶色系の色素のことで、動物界に広く存在し、もちろんヒトにもあります。

「カロテノイド色素というのは、動植物に存在する赤や黄色の色素の総称のことで、天然の色素として食品添加物としても使用されています。

植物の中で「カロテノイド」が知られているのは、ニンジン・トマト・トウガラシなどの赤色ですが、トキがこれらを食べているわけではありません。

トキのエサとなるのは、ドジョウ、カエル、タニシ、イモリ、バッタ、イナゴ、コオロギなどで、もちろんザリガニやサワガニなども食べます。

このザリガニやサワガニなどの甲殻類に含まれている「カロテノイド」を体内に取り込むことによって「とき色」が生成されているのです。植物はほとんど食べないようです。

緑の田んぼにトキがたたずんでいます。遠くから見ればただの白い鳥。


それがパタパタをして、羽の裏側の「とき色」が見えた瞬間は、そこにパ~っと華やかな桃色の花が開いたようです。

ブルブルした時・・・モフモフのモップのようです。
風切羽だけでなく、背中の羽の裏側にも「とき色」が見えます。

羽の表側を見ると、羽の羽軸もしっかりと「とき色」になっているのが分かります。

トキは不思議な鳥です。

この鳥を見ただけで幸せな気持ちになります。

さてさて、このあたりでクイズの答えを。
草むらや田んぼの中にいるトキの指先が見えることはなかなかありません。

そこでまた薮内正幸さんの絵本を引用させてもらうことにします。


「三前趾足(さんぜんしそく)」で、中指と外側の指の間に水かきもあり「半蹼足(はんぼくそく)」というのがよくわかります。
水かきは水田や湿地などを歩き回るのに便利なのです。

この幼鳥の「直接頭かき」を撮るのに、ものすご~く苦労しました。

大木で休んでいた幼鳥との距離は100m以上で、2時間ほど粘りに粘ってようやく撮れました。ああ疲れた~~


これは「サドッキー君」と言うマスコットで、佐渡島の小木港のフェリーターミナルにいました。高さは2mほどで、一緒に記念写真を撮っている人が多いです・・もちろん私めも。

今回の旅の想い出にこんなのを作ってみました。

玄関の寄せ植えにもトキ君が仲間入り。
これが我が家の正月飾り。

佐渡島では多くの人たちの献身的で長い努力の甲斐あって、ようやく野生のトキが見られるようになりました・・・とは言え、500羽以上が野生にいると聞いていたのに、今回会えたのは30羽ほどなので、やはり相当に警戒心が強いのかな?

今後、安定的にトキの数を維持するためには、鳥インフルエンザなどの心配もあるし、佐渡島だけでは狭すぎるとのこと。トキが住める環境を全国に広げていくことが課題なのです。

環境省ではトキの本州での定着を目指して「トキと共生する里地づくり」を進めています。

現在、候補地として石川県の能登地方や島根県の出雲市が選ばれました。その他、宮城県登米市、秋田県にかほ市、コウノトリ・トキの舞う関東自治体フォーラム(茨城県、栃木県、埼玉県、千葉県の18市町)の5地域を選定。


神経質で繊細な性質を持つトキが住める環境を作ることはたやすいことではありません。繁殖のためには、えさ場となる田んぼや湿地、さらに巣を作るための森林が必要です。

田んぼでは農薬や化学肥料を抑制してトキのエサを確保しなければなりません。今までの農業の近代化とは真逆の方法をとらなければならないのです。

下記は現在、佐渡で実践しているケースです。

佐渡市では2007年から「朱鷺と暮らす郷づくり」認証制度を実施しています。これは安全でおいしい佐渡米を認証する制度です。

それは「朱鷺と暮らす郷」という名前の佐渡産コシヒカリです。農薬や化学肥料を通常の半分以下に抑え、あぜの雑草にも除草剤を使いません。冬も田んぼに水を張って生き物が住める環境の中で作っているコメです。

大きな手間がかかっても、多少値段が高くても、自然と共生できることを優先してのコメ作りをしているのです。この「朱鷺と暮らす郷」の売上の一部は「佐渡市トキ環境整備基金」に寄付されています。

こうした環境を守ることは豊かな生態系を維持することにも繋がっていき、人間にとっても安全で安心できる環境と心の豊かさをもたらしてくれるということなのです。

トキの歴史とは、すなわち人間の欲望と身勝手に振り回されてきた歴史です。トキが地球上からいなくなるという事は、人間が絶滅するのと同じくらいの重要な意味を持っているということを肝に銘じなければなりません。

参考文献を読んで心に響いた言葉は・・・「鳥にとっての今日は、人にとっての明日」


参考と引用
◆「とき」佐藤春夫・薮内正幸 発行:福音館書店(1971年)
◆「鳥のふしぎ」川上 和人:監修 発行:ポプラ社 (2011年)
◆「トキよ舞いあがれ 国際保護鳥・トキを絶滅から守る人たち」国松 俊英:著 発行:くもん出版(1988年)
「トキが生きていた! 国際保護鳥トキ再発見の物語」劉 蔭増:著 桂 千恵子:訳
  発行:ポプラ・ノンフィクション (1992年)
◆「トキ 永遠なる飛翔」近辻宏帰 発行:ニュートン プレス
◆環境省・石川県・佐渡市 ホームページ「トキと共生する里地づくり」など


P.S.  インスタグラムで「tokigrapher」を検索してみてください。産経新聞の写真報道局を早期退職して2020年に佐渡島に移住し、農業をしながらトキを撮り続けているという大山文兄さんの素晴らしい写真が数多く見られます。 

また「晴鴇雨鴇」で、ネット検索しても大山氏の写真が出てきます。

大山氏は「トキ物語 佐渡島から」という写真集も出しているようです。 図書館に在庫があったので注文してみましたが、地元のカメラマンがどんなのを撮っているのか楽しみ~。






















学力テスト Vol.450-5 その解答 トキ その4 ~ 黒いトキって? ~

 

トキが江戸時代までは普通に見られたという理由は、幕府による禁猟と、各藩の大名による保護が浸透していたということですが、実のところは、将軍や大名の趣味であるタカ狩りの獲物が少なくなるから規制していた・・・と言われています。

それが1868年(明治元年)になって明治政府は鳥獣保護の制度を廃止してしまい、狩猟解禁としたのです。許可さえあれば誰でも銃を持って狩猟できるようになったのです。その頃、外国からは新しい銃が次々に輸入され、国産の銃も作られるようになりました。

狩猟人口は一気に増え、トキを始めとしてコウノトリ、ツル類、ハクチョウ類、ガン類など大型の鳥類が標的され、次々に乱獲されてしまったのです。

特に人里に住み、人を恐れなかったトキは、このために絶滅寸前まで追い詰められてしまいました。その後1892年(明治25年)に狩猟規則が、1895年(明治28年)狩猟法が定められたのですが、その時点でもトキは保護鳥類に指定されませんでした。

トキと同じように絶滅が心配されたコウノトリと一緒に保護鳥に指定されたのは、時すでに遅い1908年(明治41年)だったのです。

1933年(昭和8年)の記録には、トキは能登半島に5~10羽、佐渡島には20~30羽が生息していたと推定されています。ところがその後の太平洋戦争でトキの保護運動はうやむやに。

それどころか国力増大のために開拓事業を優先し、食料増産のための開墾、森林伐採が行われるようになってしまったのです。そして農薬や除草剤も大量に使われるようになりました。農薬の使用は鳥たちのエサを劇的に減少させてしまいました。これではトキの保護も何もあったものではありません。

このようにしてトキは限りなく減少して行ったのです。

トキの絶滅の話や、その後の復活に関わってきた人たちの努力は到底書ききれるものではありません。今回、私が紹介する本やネットなどでも詳しく載っているので、そちらをご覧ください。

地球上には約200万種以上の生物がいます。そのなかで鳥は17~20世紀までのわずか300年間に75種が絶滅! 現在ではほぼ毎年1種が絶滅しているというから恐ろしい話!


さて、今回はトキの羽が黒くなる!! という繁殖羽について。

トキが1月頃から7月にかけて、羽毛が黒く変化するのは知られていましたが、その理由は謎でした。研究者の間でも「トキの白色と灰色は、成鳥と幼鳥の違い」とか「オスメスによって違う」、「トキには白色型と灰色型のふたつがある」など色々な意見が出ていました。

トキについて長年研究してきた佐藤春雄氏は「トキの羽は季節によって変わる」という事を突き止め、1957年(昭和32年)学会で発表しましたが、最初の頃は受け入れられなかったようです。

いろいろな鳥が季節によって色を変えることはよく知られている話です。その仕組みとは ①一年に一回全身の羽が抜け替わって色が変わる・・・ライチョウやオシドリなど。②羽がすり減ることによって、異なる色になる・・・ノビタキやオオジュリンなど。

というのが代表的な例ですが、トキはどれにも当てはまらないようなのです。

1968年(昭和43年)1/21 トキ保護センターが開かれて2ヶ月ほど経った頃の事。飼育員の近辻宏帰氏は水浴びしているトキが、その後 羽づくろいをしているのを見てトキが灰色に変化していくのを発見したのです。

トキが頭を掻くと、頭と首の部分から「ふけ」のような黒い物質が落ちたのです。トキを捕まえ、頭と首の部分の羽毛を分けて調べると、その部分の皮膚は内分泌によって黒くなっていて、羽毛の間にも粘性のある「黒いふけ」が付いていたのです! 

そのあと注意して見ていると、水浴びの後のこすりつけ動作で頭と首、肩、背中と少しずつ灰色の部分が増えて、色もだんだんと濃くなっていったのです。3/14には黒っぽい灰色の羽に変わってしまいました。

その後、この繁殖羽に変化することは鳥類学者の内田康夫氏によって詳しく研究されました。

季節による羽色の変化 
「トキよ舞いあがれ」より

「鳥のふしぎ」より

このような方法で繁殖羽に変化するという鳥は、世界中の鳥を見渡してもトキ以外にはいないとのことです。

トキは♂♀ともに同じように繁殖羽に変化し、両方で交互に抱卵します。
なぜこのように変化するのか?という問いには異性へのアピールとか、外敵に対する威嚇、または保護色となって外敵の眼から逃れるのに役立っているのでは?と言われていますがま、まだ満足できるような答えは出ておらず疑問のまま残されているのだそうな。

それにしても何という不思議な衣装替えをする鳥なのでしょうか。是非ともこの繁殖羽を野生の個体で見たいものです。

黒い羽の不思議については、私の大好きな薮内正幸氏の絵を紹介して終わりにします。




参考と引用
◆「とき」佐藤春夫・薮内正幸 発行:福音館書店(1971年)
◆「鳥のふしぎ」川上 和人:監修 発行:ポプラ社 (2011年)
◆「トキよ舞いあがれ 国際保護鳥・トキを絶滅から守る人たち」国松 俊英:著 発行:くもん出版(1988年)










学力テスト Vol.450-4 その解答 トキ その3 国内編 ~ 遠江にもいた!! ~

 「朱鷺」「鴇」「桃花鳥」「紅鶴」「鴾」・・これらの文字はすべて「トキ」と読みます。


「鴇色(ときいろ)」という色と言葉が生まれたのは江戸時代のこと。その頃のトキは今のように貴重な生き物ではなく、どこにでもいる鳥だったようです。

日本の伝統色には「雀茶(すずめちゃ)」「鶯色(うぐいすいろ)」「鶸色(ひわいろ)」など鳥の羽色に由来する色がいくつかあります。「鴇色(ときいろ」はトキがごく身近な生き物であったことと、日本人の繊細な色彩感覚が産んだ言葉です。

ちなみに「鴇色(ときいろ)の色言葉は、「恋愛」「礼儀」「艶やか」です。

鴇色(ときいろ)とは、トキの羽の内側の色に由来する淡いオレンジがかったピンクの色です。江戸時代には「鴇羽色(ときはいろ)」とも呼ばれ、女性用の着物の色として、とても人気がありました。江戸時代にはこの色は紅花(べにばな)や蘇芳(すおう)という植物で染めて作られていたとのことです。

何年か前に見たNHKの「美の壺」では山形県米沢市の染織家、諏訪好風(すわこうふう)さんがトキ色に挑戦する話が放映されていました。サクラの枝を使っての「さくら染め」でトキ色を作り出す話でした。サクラからトキ色なんて想像してもワクワクで素晴らしい~~!!

https://kininarutips.com/tsubo-488/

今、こんな素敵な着物を着こなした女性がいたら、世の男どもはきっとメロメロになってしまうことでしょう!!

※米沢は、かの名君 上杉鷹山公が「米沢織」の基礎を作り、藩の財政を立て直し、発展してきたことで有名です。

さてさて、今回の私の最大の関心事はここからです!

どの本を見ても、「江戸時代には日本全国でトキがみられた」とは書いてあるけど、それ以上の具体的なことが分からなくてモヤモヤ。その最も気になっていることが判明!・・・

約290年ほど前になるけど、わが遠州地方 すなわち江戸時代には「遠江国 (とおとうみのくに)と呼ばれていたこの地にもトキがいたのです!!

この貴重な記録が書かれていたのは「産物帳」といいます。これは徳川8代将軍吉宗の時代のこと。

1735年、本草学者(現在の博物学者)の丹羽 正伯(にわ しょうはく)が中心となって、全国の動植物についての調査が行われました。これは日本の博物学の歴史の中でも驚くべき大掛かりな仕事でした。

彼は全国の藩、天領、寺社領に通達し、それぞれの地域の動植物、鉱物、農作物などを細かく調べ「産物帳」にまとめて差し出すように指示したのです。こうして34年後には全国から膨大な資料が彼のもとに集まったのです。

ただ、この貴重な資料は世に出される前にすべてなくなってしまったのです。1952年にそれを知った農学博士の安田 健氏が、それから35年掛けて、その控え文書や写本を探し出し、日本のあちこちに残っていた約40点を見つけ出したのです。下記のトキの分布図はその資料を基に作られたものです。

地図の中央部にしっかりと「遠江(とおとうみ)」と書かれています!! 遠江というのは江戸時代に静岡県が遠江・駿河・伊豆の3つの国に分かれていた時の名称で、現在の大井川以西のことを言うのです。伊豆の資料は残っていたけどトキの記載がなく、駿河は「産物帳」が未発見ということから、資料を紛失してしまったようです。

もしかして、うちのご先祖さまもトキ君を見たことがあるのかなあ? もしかしたら、見たことがあるからトキと聞くとこの血が騒ぐのかなあ?!・・・なんちゃって!


どうです? この地図を見て、皆さんの地元にはトキがいましたか?


参考と引用

◆「江戸諸国産物帳 丹羽 正伯の人と仕事」著:安田 健 発行:晶文社

◆「トキよ舞いあがれ 国際保護鳥・トキを絶滅から守る人たち

  国松 俊英:著 発行:くもん出版 (1988年)


 

学力テスト Vol.450-3 その解答 トキ その2 中国編 ~ 美人鳥を探せ ~ 

 大好きなトキについていろいろ調べてみたので、簡単にまとめてみました。今回は中国事情について。

トキの学名は「Nipponia nippon」すなわち「日本の鳥」という意味です。学名から連想すると日本の特産種のようですが、かつては東アジア一帯に生息していました。

これがその分布図です。日本以外では中国、ロシア東部のウスリー地方、朝鮮半島、台湾に生息。
ただし、この生息域は19世紀(1801~1900年)から20世紀初めの話。
その頃にヨーロッパやアメリカの動物学者が中国を探検しましたが、その記録にはトキが多数いたと書かれています。
ちなみにロシアでは1936年以降、朝鮮半島でも1978年以降の記録は途絶えています。

中国ではトキのことを「紅鶴」とか「紅火」「仙女鳥」「吉兆鳥」「美人鳥」など10以上の名前で呼んで大切にしていました。これらの名前は伝説や古い風俗、習慣などに深い関わりを持って生まれた名前なのです。

そのトキが1930年代から急速に減っていきました。環境の変化のスピードがものすごかった時代でもあります。
山林の木を伐採したり、山を切り崩して住宅や工場を多く作っていきました。
湿地の農地化、すなわち池や沼は干拓をして陸地に変え、田んぼは乾いた畑に変え、さらに残った田んぼでは農薬が多く使われました。

これによってトキのエサとなるドジョウや小魚、昆虫などがいなくなり、トキの生息できる環境はどんどんなくなっていきました。
さらにハンターが、トキの羽を目当てに乱獲したことも減少の原因になりました。
このようにして1964年を最後にトキは見られなくなってしまったのです。

中国のトキはもう絶滅してしまったのではないか?
そこで「中国科学院動物研究所」が、本当に絶滅してしまったのかどうかを調査することになり、研究チームを発足し、1978年秋に調査隊が結成されたのです。
調査と言っても中国はとてつもなく広く、日本の26倍もの面積があって、過去にトキが観察された地域はものすごく広いのです。

中国では、この地図全域の中でトキが生息していました。

調査には3年かかり、調査隊は5万kmを走り回ったとのことです。もうダメなのか?とあきらめかけた頃の事、とうとうこの地図で左上に表している陝西省洋県(せんせいしょうようけん)」で1981年5月に発見できたのです。

「トキが生きていた!国際保護鳥トキ再発見の物語」という本には、当時の発見した瞬間が次のように書かれています。

秦嶺山脈の南斜面の大きな渓谷を渡ったある日の夕暮れ、ふと、どこからか「アー・・アー・・・」という声が聞こえてきました。
案内人が北の空を指さして叫びました!「見ろ!!」
皆が空を仰ぐと、1羽の大きな鳥がまさに頭上を飛び去るところでした。私たちとの距離は70~80m。
「あれだ…間違いない!トキだ! トキだ!!」すべては一瞬の出来事でしたが、私たちははっきりと見たのです。私はその時の気持ちを言い表すことができません。

或る人は、その時の気持ちをこう言いました。「感動が押し寄せた。それは豊かな大河の流れのように、ひたひたと、ゆるやかに、それでいて限りなく大きな力を込めて、私たちを包んだ・・・」と。
私たち5人は、ただ黙って心の中に溢れようとしながら、まだ戸惑っている、激しい感情に耐えていました。

3年以上の間、山を越え、川を渡り、東へ進み、西へ戻り、南や北を歩き回ってその行方を尋ね、待ち望み、想いこがれたその姿を今ついに発見したのです。
トキはやはり生きていた!この大地の上に!中国の美しい山河に抱かれて!


この時 発見したのは陝西省・洋県(せんせいしょう・ようけん)の中の、金家河(きんかが)と姚家溝(ようかこう)という2つの集落で、7羽のトキを見つけたのでした。

そこからの洋県や国の対応はすばやく、翌年からトキの保護策を打ち出しました。
まず人々にトキが貴重な鳥であることを知らせ、トキが繁殖する大木の伐採禁止、田んぼへの農薬や化学肥料の使用禁止、ヒナを育てる初夏には田んぼにドジョウを運び込む。24時間体制で監視をして親鳥やヒナを守る。
住民への協力を求め、狩猟、炭焼き、開墾して田んぼや畑を作ること、騒音を出すことなどを禁止。

1986年には「野生のトキ保護観察ステーション」が作られ、さらに1990年には「トキ救護飼育センター」が完成。傷ついたトキを保護して手当てをしたり、人工増殖も始めました。
こうして1996年には野生の繁殖と人工の増殖をあわせて40個の卵が産まれ、24羽のヒナが育ちました。
一方、北京動物園でも人工ふ化の研究も進み、1992年には世界初で3羽のヒナのふ化に成功したのです。
このようにして、一時は絶滅したと思われていたトキは、陝西省だけでも現在、野生のトキも含めて7700羽まで増えたのです。



それよりもかなり以前の1960年に、東京で開かれた国際鳥類保護会議(ICBP)では「国際保護鳥」としてトキとアホウドリが選ばれていました。
「国際保護鳥」というのは絶滅の恐れがある鳥を指定して、国境を越えてその鳥を保護しなければならないという取り組みの事です。

中国でのトキの再発見から2ヶ月後に、同じような課題を抱えている日本もトキ保護に協力したいと申し出ました。
その内容は日本の持っている技術や器材を提供したり、両国の専門家の会議を開いたり、人の交流を行ったり、募金を中国に送ったり・・・と多岐にわたりました。

この交流こそが現在、日本でトキが見られる源となっているのです。
次回は、日本での歴史などをお伝えしようかと思います。

参考と引用
◆「トキが生きていた! 国際保護鳥トキ再発見の物語」劉 蔭増:著 桂 千恵子:訳
  発行:ポプラ・ノンフィクション (1992年)
◆「最後のトキ ニッポニア・ニッポン トキ保護にかけた人びとの記録
  国松 俊英:著 発行:金の星社 (1998年)
◆「鳥のふしぎ」川上 和人:監修 発行:ポプラ社 (2011年)








学力テスト Vol.450-2 その解答 トキ その1 ~ Nipponia nippon ~ 

トキ その1 ~ Nipponia nippon ~ 

トキの正式な分類はコウノトリ目トキ科トキ属トキです。その学名が「Nipponia nippon」ということはあまりにも有名だから知ってますよね!Nipponia」はトキ属のことで「日本の鳥」という意味です。

1828年というから江戸時代(もっと詳しく言うと第13代将軍の徳川家定の頃だから、江戸時代後期)の頃のことですが、博物学者であるシーボルトがオランダの王立自然史博物館(ライデン博物館)にトキの標本を送った時に、当時の博物館の館長だったテミンクがこの学名を命名したのです。

その頃のトキは日本のいたるところで見られたので、日本を代表する鳥と思われ、命名に日本の国名が使われたんだそうな。

このように江戸時代までは北海道から九州まで、各地に生息していました。ところが明治以降はその美しい羽のために乱獲され、さらに農薬の影響でエサとなるドジョウや小魚などが減少など生息環境も悪化!! 「Nipponia nippon」の命名からわずか150年余りで、とうとう絶滅寸前まで追いやられてしまいました。

まだビギナーの頃に図鑑を見て「Nipponia nippon」という学名を見て、これって国鳥じゃないけど日本の代表種みたいじゃん!と、いつかは見た~い!というあこがれの鳥の一種となっていました。

ところが1981年1月に最後に残った野生の5羽が捕獲され、この時点で野生種が絶滅! その後人工ふ化を試みたけど失敗続き。その中で一番長生きをした「キンちゃん」も2003年に死亡してしまったために、国内のトキは完全に絶滅してしまったのです。

この国内での捕獲と同じ年の1981年4月に、中国で絶滅したと思われていた野生のトキ7羽を発見したと報道されたのです! これが世界で残された唯一の野生なのです! 

中国では陝西省・洋県(せんせいしょう・ようけん:古代中国の諸王朝の都である長安一帯を含む地域)に生息しており、ここへ行かなければ野生のトキには会えなくなってしまったのです。もうこれでは諦めるしかありません。万事休す・・・です!

それが、ちょっと状況が変わってきました。最近ブロンズトキを見たことによって、「残るトキ科はトキのみ」となったのです!

さらに友人からの話を聞くと、「佐渡で野生化した中には足環の付いていない成鳥も見られるぜい!」というじゃありませんか! 「おっ、おおお~ いいじゃん!」こりゃ行くっきゃありません!・・・こういう展開になるのはごくごく自然の摂理なのです!!

え~っ、佐渡のトキって中国から贈呈された個体の人工繁殖じゃん!って? いいのいいの、そんな細かいことなんて気にしませんってば!! ゲージに入ってなきゃOK! 足環がなきゃ、さらによかよか~!! 善は急げです!早くいかないと夏羽になっちまう~~ 

あとは「野生のヤツじゃなきゃヤダ!足環の付いたのなんてヤダ~!」と、愚図っていた私が行く気になるのを手ぐすね引いて待っていた同志への連絡のみ!・・・ということで続きは次回へ。

P.S. 上記に書いた「中国でのトキの再発見については 『トキが生きていた - 国際保護鳥トキ再発見の物語』(劉蔭増:著 桂千恵子:訳)という児童書があるという記述を見つけたので、さっそく図書館でネット検索したら、あったあった~! 在庫がありました!! 次回のブログはこれを読んでから書くことにします。                                          


学力テスト Vol.450-1 頭かきシリーズ  その70

 先日は「ミカン切り」に行ってきました。「ミカン狩り」じゃありませんよ!「三ケ日の青島ミカンを切り取る」という、れっきとした農作業ですぞ!


ミカン切り作業をしているのは、どこかのご婦人・・・ではなくて我が家の同居人です。
元々は農家の娘なのでミカン切り作業なんてお茶のこさいさい! 鼻歌まじりで演歌を歌いながら作業をしておりました・・・さすがは昔とった杵柄!!

真っ青な空をノスリが2羽で鳴きかわしながらランデブー飛行!! 風も無くて暖かい一日でした。

こんなのんびりとした話はさておき、昼休みに農家さんにいろいろ聞いたところ、今年はカメムシの大発生でミカンへの被害も大きいこと。
さらにミカンの天敵の常連としてはカラス、メジロ、ヒヨドリなどの他にはハクビシン、挙句の果てには最近はアライグマまで出没するんだって!!
確かにミカン切りをしていると、カメムシの影響なのか、黒いシミなどがついているのが沢山ありました。
スーパーで売ってる商品を見るだけじゃ、こんな裏事情はわかりませんよね~!?!?

さてさて、今回で「学力テスト」も450回目、「頭かきシリーズ」のクイズも何と何と70回目という節目の日です。
我ながらホントに感心! 飽きっぽい性格なのに、よくここまで来れたわい!



この「鳥の名前」と「頭かき」の方法をセットで答えて下さい。

頭かきの方法 1:直接頭かき 2:間接頭かき

さらにおまけで、今回も追加問題です。いつものように「足指の形」や「水かきの種類」に関しても答えて下さい。もし、水かきの種類に該当しない場合は「無し」と解答して下さい。

足指の形

水かきの種類
※2つのイラスト資料「鳥のフィールドサイン 観察ガイド」箕輪義隆












学力テスト Vol.449-2 その解答 スズメ ~ やっこびん ~

 スズメ ~ やっこびん ~

最も身近な鳥と言えば、やっぱりスズメ。

皆さん、スズメの絵を描いてください! と言われて描けますか?

このところず~っとクイズに出している足や足指の形は覚えてますか? かかとの位置は?
スズメの顔の部分でけっこう大事なのが耳羽と呼ばれる頬の部分にある黒い斑点! これをビギナーの頃に「やっこびん」と教えてもらいました。これを書き忘れてはいけません! 

「鬢(びん)」というのは「もみあげ」のこと。時代劇に出てくるやっこさんのイラストをネットで調べてもらえば判ります。

ニュウナイスズメ ♂

国内で見られるスズメの仲間はスズメと、このニュウナイスズメ。他にはイエスズメというのがいるけど、これは珍鳥で殆ど記録がないので例外とします。

ほくろの古名である「にふ」(斑のこと)が無いことから、「斑無雀」(にふないすずめ)それが転じて呼ばれるようになったという説があるそうな。「やっこびん」がないから顔がスッキリしております。


農家が丹精込めて作った新米を、収穫前に群れになって食べに来ました。これじゃあ害鳥と言われても仕方ありません。

こんなふうに大群で押し寄せてきたら、農家もストレスが溜まりっぱなし!

でもご安心!これは収穫後に再び生えてきた二番穂、すなわち「ひこばえ」なので、いくら食べても怒られる心配は全くありません。

「ひこばえは成長しても穂が出る前に枯れてしまうか、穂が出ても中身は空のことが多いので、農家が田んぼにすき込むまでは、ほったらかし状態なのです。

ちなみに、スズメたちは繁殖期にはヒナへ、農業にとって害虫となる昆虫を与えることが多いので、その時期に関しては益鳥なのです。

「うう~っ、頭がかゆくてたまらん~~!!」という声が聞こえてきます。
「三前趾足(さんぜんしそく)」で「間接頭かき」

ふくら雀

晩秋にふっくらしてお昼寝タイム。寒い時は羽の間に空気をため込んで体を温めます。

ふくら雀というのは、「食べ物に困らないように」とか「豊かに暮らせるように」

と言う願いが込められた、豊かさや繁栄を象徴する縁起のある言葉。

「福良雀」や「福来雀」といった字をあてたり、家紋や着物の文様にも使われています。

和装でいう「ふくら雀」とは若い人向けの伝統的な帯結びのことで、ふくら雀が羽を広げたような形となることから、「食べ物に飢えることなく、豊かな一生を送れますように」との願いが込められているんだそうな。

スズメたちは人間のそばで暮らすことによって、タカ類などの天敵から逃れているのです。ヒトからもできるだけ目立たないように、関心を持たれないように、ひたすらひっそりと暮らしているのです。それがスズメたちのしたたかな戦略なのです。

そこの派手好きで目立ちたがり屋のギャルっ子みたいなアナタ!そして、そこのチャラいお兄ちゃん! 一度スズメ君たちのようなシックな生活スタイルを真似てみませんか? 「無理、無理~ そんな地味な暮らしって、つまんなそうで、できっこないも~ん!」って? そうじゃろね~