正月は久しぶりに近所の佐鳴湖公園で・・・というよりも、お屠蘇を飲んでしまったので運転できずに仕方なく・・・ナノデスケドネ。それにしても散歩をしている人の多いこと!
この「鳥の名前」と「性別」、「頭かき」の方法をセットで答えて下さい。
正月の地頭方漁港
正月は久しぶりに近所の佐鳴湖公園で・・・というよりも、お屠蘇を飲んでしまったので運転できずに仕方なく・・・ナノデスケドネ。それにしても散歩をしている人の多いこと!
この「鳥の名前」と「性別」、「頭かき」の方法をセットで答えて下さい。
ユリカモメ ~ シンボルバード ~
今回のクイズ・・・実は過去に学力テストでは370-4と423-3で「頭かき」や「足指」のことを出題しているんだけど、清水港クルーズに登場してもらったついでに復習を兼ねて再度出してみました。
明けましておめでとうございます。今日は風もなく、暖かくて静かな元日でした。このまま何事もなく穏やかな一年でありますように!!
ソウシチョウ ~ チラ見は綺麗だけどあぶないヤツ ~
この鳥ってどこかで見たことあるぞ!? そうです!1980年代の頃、日中国交正常化に伴い中国からジャンスカと輸入されて、どこのペットショップでも見かけたヤツなのです。
初めて見たのはン十年前の長野県の標高が1000mほどの冬山。赤い鳥を探していた時に遭遇しました!! この1980年代の前半の頃はまだまだ野外で目にするのは稀でした。外来種だったので、ハナマルのリストには書いてなかったために正確な日付は不明なのが残念!
それが今では浜松市でも浜北あたりでは普通種と言えるくらいにあちこちから声も聞こえてきます。ただ、けっこうすばしっこいので、なかなかじっくりと姿を見られるわけではありません。
チョット見はいいけど「危険」なのです! 何故かっていうと、これは『侵略的外来種ワースト100』という恐ろしいリストにも入ってる危ないヤツ!!『侵略的外来種』というのは、わかりやすく言うと悪名高いブラックバスやブルーギルなどと同じ扱いなのです!
残すところあと数日! あっという間の1年でした。今年も飽きずにクイズにお付き合頂きましてありがとうございました。さてさて2024年最後のクイズです。
この「鳥の名前」と「頭かき」の方法をセットで答えて下さい。
鳥の羽の発色の主な仕組みは ①「カロテノイド(またはカロチノイド)色素」、②「メラニン色素」、または ③「構造色」この3つが主な発色です。
地球上に生息している約1万種の鳥のほとんどが、この3つの仕組みによる発色です。「色素」による発色は一部の光を吸収して起こる発色で、「構造色」は羽毛に当たる光の散乱によって発色するので、色素とは違う光学的な仕組みによる発色です。
「メラニン色素」とは黒~茶色系の色素のことで、動物界に広く存在し、もちろんヒトにもあります。
「カロテノイド色素」というのは、動植物に存在する赤や黄色の色素の総称のことで、天然の色素として食品添加物としても使用されています。
植物の中で「カロテノイド」が知られているのは、ニンジン・トマト・トウガラシなどの赤色ですが、トキがこれらを食べているわけではありません。
トキのエサとなるのは、ドジョウ、カエル、タニシ、イモリ、バッタ、イナゴ、コオロギなどで、もちろんザリガニやサワガニなども食べます。
このザリガニやサワガニなどの甲殻類に含まれている「カロテノイド」を体内に取り込むことによって「とき色」が生成されているのです。植物はほとんど食べないようです。
佐渡島では多くの人たちの献身的で長い努力の甲斐あって、ようやく野生のトキが見られるようになりました・・・とは言え、500羽以上が野生にいると聞いていたのに、今回会えたのは30羽ほどなので、やはり相当に警戒心が強いのかな?
今後、安定的にトキの数を維持するためには、鳥インフルエンザなどの心配もあるし、佐渡島だけでは狭すぎるとのこと。トキが住める環境を全国に広げていくことが課題なのです。
環境省ではトキの本州での定着を目指して「トキと共生する里地づくり」を進めています。
現在、候補地として石川県の能登地方や島根県の出雲市が選ばれました。その他、宮城県登米市、秋田県にかほ市、コウノトリ・トキの舞う関東自治体フォーラム(茨城県、栃木県、埼玉県、千葉県の18市町)の5地域を選定。
神経質で繊細な性質を持つトキが住める環境を作ることはたやすいことではありません。繁殖のためには、えさ場となる田んぼや湿地、さらに巣を作るための森林が必要です。
田んぼでは農薬や化学肥料を抑制してトキのエサを確保しなければなりません。今までの農業の近代化とは真逆の方法をとらなければならないのです。
下記は現在、佐渡で実践しているケースです。
佐渡市では2007年から「朱鷺と暮らす郷づくり」認証制度を実施しています。これは安全でおいしい佐渡米を認証する制度です。
それは「朱鷺と暮らす郷」という名前の佐渡産コシヒカリです。農薬や化学肥料を通常の半分以下に抑え、あぜの雑草にも除草剤を使いません。冬も田んぼに水を張って生き物が住める環境の中で作っているコメです。
大きな手間がかかっても、多少値段が高くても、自然と共生できることを優先してのコメ作りをしているのです。この「朱鷺と暮らす郷」の売上の一部は「佐渡市トキ環境整備基金」に寄付されています。
こうした環境を守ることは豊かな生態系を維持することにも繋がっていき、人間にとっても安全で安心できる環境と心の豊かさをもたらしてくれるということなのです。
トキの歴史とは、すなわち人間の欲望と身勝手に振り回されてきた歴史です。トキが地球上からいなくなるという事は、人間が絶滅するのと同じくらいの重要な意味を持っているということを肝に銘じなければなりません。
参考文献を読んで心に響いた言葉は・・・「鳥にとっての今日は、人にとっての明日」
P.S. インスタグラムで「tokigrapher」を検索してみてください。産経新聞の写真報道局を早期退職して2020年に佐渡島に移住し、農業をしながらトキを撮り続けているという大山文兄さんの素晴らしい写真が数多く見られます。
また「晴鴇雨鴇」で、ネット検索しても大山氏の写真が出てきます。
大山氏は「トキ物語 佐渡島から」という写真集も出しているようです。 図書館に在庫があったので注文してみましたが、地元のカメラマンがどんなのを撮っているのか楽しみ~。
トキが江戸時代までは普通に見られたという理由は、幕府による禁猟と、各藩の大名による保護が浸透していたということですが、実のところは、将軍や大名の趣味であるタカ狩りの獲物が少なくなるから規制していた・・・と言われています。
それが1868年(明治元年)になって明治政府は鳥獣保護の制度を廃止してしまい、狩猟解禁としたのです。許可さえあれば誰でも銃を持って狩猟できるようになったのです。その頃、外国からは新しい銃が次々に輸入され、国産の銃も作られるようになりました。
狩猟人口は一気に増え、トキを始めとしてコウノトリ、ツル類、ハクチョウ類、ガン類など大型の鳥類が標的され、次々に乱獲されてしまったのです。
特に人里に住み、人を恐れなかったトキは、このために絶滅寸前まで追い詰められてしまいました。その後1892年(明治25年)に狩猟規則が、1895年(明治28年)狩猟法が定められたのですが、その時点でもトキは保護鳥類に指定されませんでした。
トキと同じように絶滅が心配されたコウノトリと一緒に保護鳥に指定されたのは、時すでに遅い1908年(明治41年)だったのです。
1933年(昭和8年)の記録には、トキは能登半島に5~10羽、佐渡島には20~30羽が生息していたと推定されています。ところがその後の太平洋戦争でトキの保護運動はうやむやに。
それどころか国力増大のために開拓事業を優先し、食料増産のための開墾、森林伐採が行われるようになってしまったのです。そして農薬や除草剤も大量に使われるようになりました。農薬の使用は鳥たちのエサを劇的に減少させてしまいました。これではトキの保護も何もあったものではありません。
このようにしてトキは限りなく減少して行ったのです。
トキの絶滅の話や、その後の復活に関わってきた人たちの努力は到底書ききれるものではありません。今回、私が紹介する本やネットなどでも詳しく載っているので、そちらをご覧ください。
地球上には約200万種以上の生物がいます。そのなかで鳥は17~20世紀までのわずか300年間に75種が絶滅! 現在ではほぼ毎年1種が絶滅しているというから恐ろしい話!
さて、今回はトキの羽が黒くなる!! という繁殖羽について。
トキが1月頃から7月にかけて、羽毛が黒く変化するのは知られていましたが、その理由は謎でした。研究者の間でも「トキの白色と灰色は、成鳥と幼鳥の違い」とか「オスメスによって違う」、「トキには白色型と灰色型のふたつがある」など色々な意見が出ていました。
トキについて長年研究してきた佐藤春雄氏は「トキの羽は季節によって変わる」という事を突き止め、1957年(昭和32年)学会で発表しましたが、最初の頃は受け入れられなかったようです。
いろいろな鳥が季節によって色を変えることはよく知られている話です。その仕組みとは ①一年に一回全身の羽が抜け替わって色が変わる・・・ライチョウやオシドリなど。②羽がすり減ることによって、異なる色になる・・・ノビタキやオオジュリンなど。
というのが代表的な例ですが、トキはどれにも当てはまらないようなのです。
1968年(昭和43年)1/21 トキ保護センターが開かれて2ヶ月ほど経った頃の事。飼育員の近辻宏帰氏は水浴びしているトキが、その後 羽づくろいをしているのを見てトキが灰色に変化していくのを発見したのです。
トキが頭を掻くと、頭と首の部分から「ふけ」のような黒い物質が落ちたのです。トキを捕まえ、頭と首の部分の羽毛を分けて調べると、その部分の皮膚は内分泌によって黒くなっていて、羽毛の間にも粘性のある「黒いふけ」が付いていたのです!
そのあと注意して見ていると、水浴びの後のこすりつけ動作で頭と首、肩、背中と少しずつ灰色の部分が増えて、色もだんだんと濃くなっていったのです。3/14には黒っぽい灰色の羽に変わってしまいました。
その後、この繁殖羽に変化することは鳥類学者の内田康夫氏によって詳しく研究されました。
「朱鷺」「鴇」「桃花鳥」「紅鶴」「鴾」・・これらの文字はすべて「トキ」と読みます。
日本の伝統色には「雀茶(すずめちゃ)」「鶯色(うぐいすいろ)」「鶸色(ひわいろ)」など鳥の羽色に由来する色がいくつかあります。「鴇色(ときいろ」はトキがごく身近な生き物であったことと、日本人の繊細な色彩感覚が産んだ言葉です。
ちなみに「鴇色(ときいろ)」の色言葉は、「恋愛」「礼儀」「艶やか」です。
鴇色(ときいろ)とは、トキの羽の内側の色に由来する淡いオレンジがかったピンクの色です。江戸時代には「鴇羽色(ときはいろ)」とも呼ばれ、女性用の着物の色として、とても人気がありました。江戸時代にはこの色は紅花(べにばな)や蘇芳(すおう)という植物で染めて作られていたとのことです。何年か前に見たNHKの「美の壺」では山形県米沢市の染織家、諏訪好風(すわこうふう)さんがトキ色に挑戦する話が放映されていました。サクラの枝を使っての「さくら染め」でトキ色を作り出す話でした。サクラからトキ色なんて想像してもワクワクで素晴らしい~~!!
https://kininarutips.com/tsubo-488/
今、こんな素敵な着物を着こなした女性がいたら、世の男どもはきっとメロメロになってしまうことでしょう!!
※米沢は、かの名君 上杉鷹山公が「米沢織」の基礎を作り、藩の財政を立て直し、発展してきたことで有名です。
さてさて、今回の私の最大の関心事はここからです!
どの本を見ても、「江戸時代には日本全国でトキがみられた」とは書いてあるけど、それ以上の具体的なことが分からなくてモヤモヤ。その最も気になっていることが判明!・・・
約290年ほど前になるけど、わが遠州地方 すなわち江戸時代には「遠江国 (とおとうみのくに)」と呼ばれていたこの地にもトキがいたのです!!
この貴重な記録が書かれていたのは「産物帳」といいます。これは徳川8代将軍吉宗の時代のこと。
1735年、本草学者(現在の博物学者)の丹羽 正伯(にわ しょうはく)が中心となって、全国の動植物についての調査が行われました。これは日本の博物学の歴史の中でも驚くべき大掛かりな仕事でした。
彼は全国の藩、天領、寺社領に通達し、それぞれの地域の動植物、鉱物、農作物などを細かく調べ「産物帳」にまとめて差し出すように指示したのです。こうして3~4年後には全国から膨大な資料が彼のもとに集まったのです。
ただ、この貴重な資料は世に出される前にすべてなくなってしまったのです。1952年にそれを知った農学博士の安田 健氏が、それから35年掛けて、その控え文書や写本を探し出し、日本のあちこちに残っていた約40点を見つけ出したのです。下記のトキの分布図はその資料を基に作られたものです。
地図の中央部にしっかりと「遠江(とおとうみ)」と書かれています!! 遠江というのは江戸時代に静岡県が遠江・駿河・伊豆の3つの国に分かれていた時の名称で、現在の大井川以西のことを言うのです。伊豆の資料は残っていたけどトキの記載がなく、駿河は「産物帳」が未発見ということから、資料を紛失してしまったようです。
もしかして、うちのご先祖さまもトキ君を見たことがあるのかなあ? もしかしたら、見たことがあるからトキと聞くとこの血が騒ぐのかなあ?!・・・なんちゃって!
参考と引用
◆「江戸諸国産物帳 丹羽 正伯の人と仕事」著:安田 健 発行:晶文社
◆「トキよ舞いあがれ 国際保護鳥・トキを絶滅から守る人たち」